鈴木裕とは何者なのか?
投稿者 suzuki : 2005年04月16日 | コメント (9) | トラックバック
こんにちは。
このブログを書いているのは、日本で唯一、国際自動車競技ライセンスを持った技術士の鈴木裕です。
あ、あなた。今、ほんとに唯一なの?、と思いましたね?
よく聞かれます。あちこちで講演して何度も言っていて一度もクレームを受けた事はないので、たぶん唯一でしょう。
もし、「わたしもそうだ」と言う人がいれば、この記事にコメント下さい。
その場合は、さらに「ゴールド免許」と言うオプションがあります。
それも同じだと、「ナナハンライダー」と言うのがあります。
それも同じだと…、ごめんなさいします。
話がそれました。ごめんなさい。
そう、技術者資格の最高峰、超難関と言われる国家試験の、あの、技術士です。
登録部門は、総合技術監理部門と機械部門です。専門は、…
そのうちに書くこともあるでしょう。ちなみに、二次試験の選択科目は「自動車」でした。自動車メーカーでテストドライバーをやっていたこともあるんですよ。
仕事は、コンサルタント、会社役員、大学講師、執筆業、翻訳業、…、となんでもこなす毎日です。公職としては、(財)神戸市産業振興財団の技術相談員をやっています。元々技術コンサルタントですが、今はマーケティングのアドバイスもさせていただいています。
「いい技術をもっているのに売り方を知らないで損をしている日本のものづくり企業」の為に、「あなたの技術を高く売る方法」をお教えしています。
日本には、技術畑のマーケターがもっと多く必要です。
モータースポーツは、ラリーをやっています。自慢するわけではありませんが、全日本レベルでドライバー、ナビゲーター、メカニックの全てがこなせる人間は少ないでしょう。
とにかく、そういうわけで、今現在、鈴木裕は技術者としてもドライバーとしても成功したわけですが、昔はひどいもんでした。
特に、子供のころは数学が苦手でした。
実は、今でも暗算ができません。
高校二年の時、担任の先生から、「お前、この成績では、○○大学にも行けないぞ」と理系進学をあきらめるように言われたくらいです。(内緒ですが、今教えている大学は、その○○大学なんです。そういう言い方って、大学に失礼ですよね。)
技術士二次試験だって、2回落っこちています。
事故もよくおこしました。車ひっくり返したことは2度3度ではありません。人を危めなかったのは、ほんとに運がよかったとしかいえません。天に感謝しています。
大成功ではないかも知れません、それでも、そんな奴でもそれなりの成功を収めることはできるんです。
私にできたんですから、あなたにもきっとできるはずです。
このことを、ブログを通じて伝えたいと思っています。特に、技術者を目指す若い世代の人たちに。
鈴木裕の非公開プロフィール
投稿者 suzuki : 2005年04月16日 | トラックバック
「ものづくりの経験と言うのは、どれだけものを壊したかなんだよ。」
友人、Nの言葉である。
二人でよく壊したよなあ。厚木から横須賀まで実験車を牽引して帰ったこともある。
3歳にしてすでに時計を分解。その後、手当たり次第に家の中のものを分解して親を困らせたと言う幼年時代から、「お前には工学部は無理だ」、と担任に言われた高校時代、そして技術士として独立するまでの鈴木裕の半生の全てがここにあります。
鈴木裕の特許
投稿者 suzuki : 2005年04月16日 | トラックバック
取引が活性化すれば「知的財産の市場価格」が形成される、と言う人がいる。
売れる特許かどうかは3秒でわかる、と豪語する経営コンサルタントもいる。
ライバルが買っていく特許がいい特許だとすれば、それは簡単である。
あなた自身が、困っていることを特許にすればいい。
最初から取引のための特許などあり得ないのである。
こういったことは、実際に何件も特許を書いて、ライバルに売った経験がないとわからないだろうね。
あの、増岡さんです
投稿者 suzuki : 2002年11月29日 | コメント (0) | トラックバック
同じく、2002年のJAF表彰式で。
パリダカ優勝の特別表彰で来られていた増岡選手です。
星野一義さんと
投稿者 suzuki : 2002年11月29日 | コメント (0) | トラックバック
2002年のJAF表彰式で星野先生と再会しました。
星野先生には、ワガママに行くことを教わりました。
「結果出せばいいんだから、自分に言い訳して、中途半端にやるより、とことんワガママに行け。俺なんか、日産のサポート受けてて、F2000は日産のエンジンじゃ勝てないからBMWのエンジン積ませたよ。」
自分を追い詰める姿勢がすごいです。
日産レーシングスクール
投稿者 suzuki : 1997年08月15日 | コメント (0) | トラックバック
1997年夏。
十勝インターナショナルスピードウェイ。
日産レーシングスクール・レーシングドライバークラス。
一応、それなりの実績がないと受講もできない、という、当時としては国内最高クラスのドライビングスクールだった。
同期で卒業したドライバーの中には、今、全日本GT選手権で活躍しているA選手がいます。
講師はあの、星野一義さんと、和田孝夫さん。
もう、ビビりっぱなしでした。
それにしても、十勝の夏は寒かった。夜、Tシャツでビールを飲みに行ったら寒くて震えながらホテルに帰るハメに。
全日本デビュー
投稿者 suzuki : 1993年10月16日 | コメント (0) | トラックバック
今日は2005年の4月16日ですが、さかのぼって書いています。1993年にはブログもMTもなかったので当然ですね。
1993年の全日本ラリー選手権最終戦第21回MCSCラリーハイランドマスターズで全日本デビューしました。このころはドライバーやっていました。今でもドライバーのつもりなんですけどね(笑)。