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2007年12月27日

自己正当化

人と言うのは、以前に言った自らの意見に相当縛られるものらしい。

ドアロックかけず小5転落死 「逮捕はおかしい」との声
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071226-00000004-jct-soci


確かに、事故が起きた時の救助と言う点を考えれば、ドアロックなどしない方がいいのだが、高速走行中にドアロックすべきかどうか、は相当難しい問題で、個々の状況に応じて運転者が判断すべき問題だと思う。
今回の件では、現実に事故が起きた、と言うことはマイクロバスの運転手の判断に誤りがあった、と言うことだ。

後続のトラックの運転手についてはどうか?
状況を詳しく見ていないのでこの事故についてはコメントのしようがないが、一般論で言えば、高速道路走行中の前走車から人が落ちてくる事まで想定してはとても走っていられない。
乗用車ならまだ避けることもできるかも知れないが、トラックでは困難だろう。
トラック運転手にとっては災難だったと思う。
が、調べないことには原因はわからない。

当事者双方の逮捕、送検は当然だろう。
送検された、と言うことはこれが略式裁判ではなく、正式の裁判で判断される、と言うことだ。
正式の裁判は、公開が原則である。
むしろ、略式起訴、略式裁判で密室で自動的に量刑が決まることの方が間違っている。
どこかに原因があったのだから、それを明らかにすべきだ。
問題はこれからどのような調査、判断が行われるのかと言うことだ。
国民としてはそちらの方に注目すべきなのである。

確かに、双方の運転手だけが原因ともいえないとは思う。
走っている車の中で席を立って歩き回る子供に育てた親の責任、自動車メーカーとして走行中にはドアが開かないような構造にはできないのか、少なくとも、簡単にドアが開くような構造になっていないか、など、様々な問題はあると思う。

とは言え、自動車と言うもの、それなりの訓練を経て資格が与えれれ、運転できるもので、一般の機械と同じに扱うことはできない。
やはり、運転者の責任は相当にある、と考えるべきだ。


問題は、そう言うことではない。
以前に、自分が言った意見を正当化するために、すでに現実のものとなったこの事故を否定する、と言う自称専門家の態度だ。(私は、はっきり言うが、評論家程度の人間に自動車の専門家を名乗ってもらいたくない。これは自動車が専門の技術士としての意見である。)

そもそも、走行中はドアロックすべきかしないべきか、と言うのは賛否両論がある。
事故が起きた時の救出性だけを考えれば、と言う前提で、ドアロックはしない方がよい、と言えるので、全てに於いてそうだとは言えない。
現実に、事故が起きた時でさえ、ドアが開いて車外放出された事例はある。
そもそも、大きな事故であればドアロックされていようがいまいが、ドアが開かないほど変形することもあれば、ドアロックが壊れて勝手に開くこともある。

事故、と言う特殊な状態にだけ注目して、通常走行時の安全性を無視した意見を言うのは誤りである。
この場合には、走行中にドアが開いた、と言うことが間違いなく事故の原因なのである。


世の中には人と違った奇抜な意見を言う人がいる。
特に評論家と言う人種にその傾向が強い。
人と違った意見を言わなければ、世の中が振り向いてくれないからだろう。
ドアロック一つとってもこれだ。
問題は、その意見に固執して、問題の本質に目をつぶってしまうことにある。

世の中は一筋縄ではいかないものだ。
専門家を自認するなら、もっと広い視野をもってもらいたいものである。

投稿者 suzuki : 2007年12月27日 05:18

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コメント

関連して、「走行中にドアが開くのは危険」「車の欠陥では?」と言う意見もあるようです。
今の技術ならば、走行中を検出してドアが開かなくすることはもちろん可能だと思いますが、そのためにはコストがかかります。

この場合、「走行中にドアが開くことによる転落の危険」も、「走行中にドアが開かなくする装置のコスト」も同じように損失と考えなければいけません。

そのコストは、走行中には乗員がドアを開けないように十分な注意を払って運転しているユーザーにとっては無駄な出費でしかない、と言うことも忘れてはいけません。

投稿者 すずき : 2007年12月27日 07:58


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