技術と人間の倫理
まいった。
「技術者倫理」の講義が来週から開講なのだが…まだ準備ができない。
「技術者倫理は大事です。それは善い技術者になることです。良い技術者ではありません。以上」
で終わりにしてやろうか?
では、実も蓋もない。
と言って、「不正はいけません」「公衆の安全を最優先に」「地球環境を大切に」などと口当たりのいい言葉で終わらせたくもない。
現実には「公衆の安全」や「地球環境」と「技術の革新」は常にトレードオフの関係にあるし、技術者は幾度となくその選択を迫られる場面に出くわす。
過去の事例によるケーススタディもあまり意味がない。
技術者の直面する問題は、全て違うし、他の工学的問題と同じく、正解はない。すでに答えのわかっている問題について深く追求してもしかたがない。
そもそも、何故技術者倫理がこれほど注目されてきたのだろうか?
カネボウ事件のように会計士にだって倫理は必要だし、法律家や政治家にも倫理はある。
その中でどうして技術者倫理だけがこれほど重要視されるのか?
技術の影響度が100年前とは比べ物にならないくらい大きくなったからだ。
政治の影響は長くて2〜3年だ。
技術の影響は永遠に続く。
簡単に言えば、技術者は神の領域に達してしまったからだ。
今の技術は地球を何十回でも破壊できるし、新しい生命体を作り出すこともできる。
たとえば、ものを燃してCO2を発生させる程度の変化(分子レベルの変化)は自然界で当たり前におこる。
技術は、物質の原子レベルでの変化を可能にしてしまった。
自然界に存在するウランはU235が0.7%、U238が99.3%である。U235は自然界にあっても3%くらいの確率で核分裂を起こす(これを自発核分裂と言う)。が、人間の作り出した核連鎖反応という技術は、U235をほぼ100%核分裂させるだけではなく、U238に中性子を当てて自然界にないPU239(プルトニウム)と言う物質を作りだしてしまった。
また、バイオテクノロジーは、品種改良の域を超えた新種の生物を作り出すことを可能にした。遺伝子組み換え技術である。
もちろん、これらはコントロール可能である。
核連鎖反応は強大なエネルギーを生み出すし、化石燃料が枯渇しようとしている今、オルタナティブとして核を使うことを選択しなければ、人類は深刻なエネルギー危機に見舞われる。
が、同時にこれを軍事に利用すれば地球は何十回でも破壊される。
また、自然界においても、一定の割合で新生物は生まれる。本来無害であった大腸菌が毒性を持ってO157になったような変化は起こりえる。
遺伝子組み換え技術は、現状ではまだ限界があるし、設計図が描けるのでより安全だと言う意見もある。
しかし、限界はいずれ取り除かれる。技術の革新とはそう言うものだ。そして、この技術を生物兵器に利用したらどうなるか?
技術をコントロールするのは、技術者個人の倫理観しかない。
だから技術者倫理は大事なんだ。
そのとおりなんだけど。それって技術者個人にとって何のメリットもないよねえ。
ここが悩みどころなんだ。
モラルハザードと言うのは、いくら頑張っても同じ報酬しかもらえないときに起こるものなんだ。
日本の銀行が破綻したのも同じ。競争と言うものがなかったから、頑張っても頑張らなくても同じ。その結果が乱脈融資。
だいたいねえ、1銭の外貨も稼がない銀行屋のほうが、過去30年間、毎年平均で12兆円の外貨を稼いでいる(副島隆彦による)技術者よりも給料が高いと言うのが気に入らんよなあ。
いくら重要だ重要だと言っても、報酬がそれに見合っていないんじゃあね。
倫理とか責任とか、ややこしいものだけ押し付けないで、技術者の地位を向上してくれ。
金銭的な報酬を決めるのは企業だからしかたないとして、特権階級として、技術者だけが立ち入れる娯楽施設を作るとか。軽微な法律違反たとえば速度違反くらいは大目に見るとか。
(半分冗談だが、外交官には認められているのだからこれくらいしてもいいと思う。)
閑話休題、これからの技術者は良い(腕のいい)技術者であると同時に、善い(倫理観に優れた)技術者であることを求められている。
特別な報酬も特権も与えられなくても、誰も称えてくれなくても、少なくとも私は技術者であることに誇りを持っているし、善い技術者であったことに誇りを持って死にたいと思っている。
参考文献:
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投稿者 suzuki : 2005年09月14日 08:17
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コメント
こんばんは。
不思議に思うんだけど大学の先生は、あまり倫理に関心がないのかなぁ。それとも逃げているのかなぁ。(失礼)。技術士が大学で講義するのも倫理が多い気がする。・・・・実際どうなんでしょう。
投稿者 IKA : 2005年09月14日 21:44
関心がないわけではないと思います。倫理学を専門に研究されている先生も沢山いらっしゃいます。
ただ、研究の対象は狭いです。いまどき、プラトン、ソクラテス、アリストテレスあたりを専門にやられている先生は少ないように思われます。
工学系の学科の先生、と言う意味なら、私の意見としては、実務経験のない先生には教えることが困難です。
技術者倫理は、「善い技術者とは何であるかを知る事」と「善い技術者になる事」の両方を目的とするからです。
同じく科学に携わるものでも、学者と技術者は全く違うものです。学者は自然界の真理を探究することが目的ですが、技術者は自然界にないものを作り出すことが目的です。
アリストテレスが倫理学をR指定にしたとおり、倫理はなんらかの経験を積んで初めて腹に落ちます。その意味で学生に技術者倫理を教えることはものすごく難しいですし、余計な事を教えるとかえって逆効果です。
人を殺すと言うことがどう言うことかも知らない子供に、人を殺してはいけない、と言うルールだけを教えても、何のことやらわかりませんし、そのルールを教えてしまう(タブー化する)ことで、人を殺すとはどう言うことか、を学ぶ機会を奪うことになります。(これがアリストテレスが倫理学をR指定にした所以です。)
もちろん、プラトンのように、子供のころから教えるのがよい、とする意見もありますが、私はアリストテレスの方を支持しています。
技術士が講義する内容に倫理が多いと言うのは確かにそのとおりかも知れません。
私自身は他に自動車工学、電気機器など教えていますし、他の先生もご自分の専門分野について講義を持っておられます。
これにはJABEEが絡んでくるのですが、認定基準に「有資格者または実務経験者(部門によっては技術士を明記しているものもある)の講義」を要求しているからだと思われます。
これは、私自身はいい傾向だと思います。
大学は真理の探究の場であると同時に、即戦力になる若者を養成する機関としての役割も大きいものです。
本来の大学の先生(学者)には10年、20年先を見越した最先端を研究していただき、若者の養成は経験を積んだ技術者が行う、と言うのは実に効果的かつ効率的です。
実際問題として、技術(ものづくり)においては、特定分野の深い知識と言うよりも、周辺の広範囲な浅い知識の方が有効ですし、知識よりもテクニックの方がより重要であったりします。
小柴昌俊先生がノーベル賞を受賞されたときに、「これを機に、産業界に直接役立つと言うものではない、地道な基礎研究が見直されることを願う」と言った談話を発表されました。
大学の本来の目的は、そこにあると思います。
言い方は悪いですが、若者の育成なんてレベルの低い話は、技術士などの実務経験者がやればいいのです。
投稿者 鈴木裕 : 2005年09月15日 01:49
最近は、産学連携で実践的な研究が重きをおかれていると思います。独立法人というのがあるからかと思います。また、学術論文のみでなく、特許に関しても重きをおかれるようになってきていると思います。商業化にどんどん進んでいるような気がします。それから、少子化で学生募集についても力を入れていかなければならないようです。どんどん、基礎研究がおざなりになるのではないかと危惧しています。以前は、即戦力の教育が大事だと思っていましたけどね。
投稿者 IKA : 2005年09月15日 12:59
基礎研究がおざなりになる、あるいは、すでにされていることは私も危惧しています。
確かに、基礎研究も応用研究もどちらも大事なのです。が、時期があります。
1970年代後半から1980年代にかけての、とにかく作れば作っただけモノが売れた時代には、即実戦の応用研究が比較的重要でした。
今はじっくり腰をすえて基礎研究をやる時期だと思います。
これは、コンドラチェフの波からも説明できます。
コンドラチェフは、ロシアの経済学者です。
ここで少し脱線しますが、そもそも、ほとんどの経済学者は、技術革新をシステムの外乱としてしか捉えていません。近代経済学の父と言われるケインズもそうです。
コンドラチェフ、それからオーストリアの経済学者シュンペーターは、技術革新と経済の関係を説いた少数派の経済学者でした。
話をコンドラチェフの波に戻しますが、コンドラチェフの波とは「技術革新を主な要因とする、50年から70年周期の景気変動がある」と言う説です。
そして、景気の下降期には、多くの科学技術上の発見や発明がなされ、景気の上昇期にはそれを応用した製品が生まれる、と言うものです。
つまり、下降期に種を仕込んで、上昇期に芽が出る、と言うことです。
この説によれば、今は下降期にありますから、今から応用研究(つまり製品化する研究)を強化するのはいい策とはいえません。今は、基礎研究に重点を置くべき時期なのです。同時に、すでにある技術、製品からできるだけ収穫しておく、と言う時期でもあります。
また、ついでに言いますと、MOT(Management of Technology)と言う言葉が流行っています。これも、1970年代〜1980年代を研究した一部の経済学者が系統化した、技術管理の知識体系です。景気の上昇期、つまり、作ったモノが全部売れるような時期には有効ですが、今は全く役に立ちません。作ったモノが全部売れる前提では、管理をきちっとして、効率的な生産をすることが利益につながるからです。
今は管理することよりも、新しい技術革新の種を探す時なのです。
そして、今の20代前半の若者に教えるべきことは、また違います。
彼らが、社会的に影響力を持つ30代に差し掛かるころ、コンドラチェフの波は上昇に向かいます。今、仕込んだ種を育てて事業化できる人材が必要です。
そのようなセンスを持った技術者を育成する、これが私の使命の一つだと思っています。
投稿者 鈴木裕 : 2005年09月15日 16:50
こんにちは。
いわゆる顧客満足と技術者倫理には接点があってどこかで技術者は最大限の社会貢献を目指しているものですね。
他社を押しのけて自社の規格を競争で勝ち抜きシェアをとろうという考え。その反対が協議で規格統一をはかる。前者は幾らかの犠牲を消費者にお願いして、ファン投票によって決着しようとするもののような気もします。この辺の考え方はある意味(少数派とは思うが)とても面白い。競争と協業はやはりバランスを取って何らかの犠牲を強いながら進歩していくのが競争社会では効率的なのでしょうか。
投稿者 Dr なか : 2005年09月30日 11:53
社会貢献する働き方、と言うのは、P.F.ドラッカーが言い始めたことで、日本では田坂広志先生が「これから働き方はどう変わるのか」などの著書で考えを書かれています。
先生の考え方、特に仕事の「目に見えない3つの報酬」はまさに個人の倫理観につながるものだと思います。
自分のところの商品をデファクトスタンダートにしてしまえば市場が制圧できる、と言う考えも80年代までは通用しましたが、今ではどうかわかりません。
たとえば、私の勤めていたHPでは、1990年代の初めにVXIと言う計測用のバスをスタンダートにしました(IEEE1155)が、結局廃れました。今ではPCバスベースの新しいスタンダードが標準になっています。HP-IB = GP-IB(IEEE488)のようにうまくいかなかったのは時代の流れだと思います。
つまり、規格化には長い時間がかかるので、現代の、猛スピードで流れている時代の中では無力なのだと思います。
これは規格化だけに限りません。商品開発全般に言えることです。昨日は標準だったものが明日には変わっている時代です。
今は即断即決の経営が常に求められます。
刻々変わる状況に、臨機応変に判断して対処しなければいけないのは、自動車ラリーに通じるものがあります。
HD DVDとブルーレイの争いを見ていると前世紀の遺物を見ているような感じさえしますね。
投稿者 鈴木裕 : 2005年09月30日 14:56
主語を変える
こんにちは。
別の書き込みで仰っている「主語を変える」って大事ですね。
ここで各論をお話するつもりはありません。上のことの一例としてU235について一言。
鈴木さんは以前の書き込みで次のように述べられています。
「技術は、物質の原子レベルでの変化を可能にしてしまった。
自然界に存在するウランはU235が0.7%、U238が99.3%である。U235は自然界にあっても3%くらいの確率で核分裂を起こす。が、人間の作り出した核連鎖反応という技術は、U235をほぼ100%核分裂させるだけではなく、U238に中性子を当てて自然界にないPU239(プルトニウム)と言う物質を作りだしてしまった。」
U235の立場に立ってみると・・
地球誕生からU235は存在した。現在よりも、ウランの中での同位体比(存在比)は高かった。だから自然界でも核分裂は起こっていた。例えば、アフリカのオクロという場所で。この核分裂に伴って当然、PUも存在した。
その後、かなり時間がたってU235の存在比が低下し、自然界では核分裂を起こし得ない程度まで減衰してきた。
やがて品位(濃度)が、利用するには低過ぎる程度に落ちるその寸前で、人類というものが利用し始めた。
神の思し召しなのであろうか。このまま放置されていれば、U235という物質が永久に利用できないところだった。
・・・というお話はいかがでしょうか。
また、U238や他の核燃料物質の立場で考えると、さらに一般の日本人にとって驚愕する内容になるかもしれません。
ウランのほとんどを占めるU238も活躍(核分裂)する場がありますし、トリウムという物質は、地球上にウランよりも多く存在する核原料物質で、今後の利用が検討されています。
不幸なことは、実質的な原子力利用が軍事利用から始まったということでしょうか。逆に、最初から悪い面を含めて人の脳裏に焼きついたということは両刃の剣でしょうか。
普通の技術は、人に良い面だけ見せて利用が始まるもののようです。大々的に利用していて、途中から人への悪い影響が判明して製造中止になった物質は少なくありません。従来は、利用してみないと悪い影響が分からないというのが普通だったでしょうから、ある程度はやむを得ない面があるかもしれません。
技術の社会的影響は必ずプラス・マイナスの両面があるもののようです。マイナス面を意識しつつ利用できる(選択肢として残る)という宿命は、比較的よい宿命なのかもしれません。
長くなりました。何を言いたいのか・・と思われているかもしれませんね(笑)。
蛇足をもう一つ。PU239の立場から。
PU239は地球誕生から存在した。量は少なかったが。また、自然界でU235の核分裂によっても作られた。爆弾を造るには自然界に存在する濃度が低く、量が少なかった。そういう人間からすれば「人工生成物」と言えた。利用するに値しない状態が、すなわち存在しないということなら、それも正しい。この認識が、次第に「常識」となっていった。
U235は自然界に存在した量以上のものはなく、資源としては減衰する一方。対して、PU235は、U235の利用に伴って必然的に生成するため、地球上での存在量が少しづつ増えていく。それゆえの「常識」であろうか。
PUは神のご意思に反して人間がかってに作り出したもの・・誰かのネガティブキャンペーンに利用されてもいる。
以上のような認識は、実学(工学)の世界からは生まれ難く、理学というか、大学の先生というか、そういう分野の人達の役割で正しく公衆に認識してもらう必要があると、私は思っています。
大学の役割を軽く見るわけにはいきません。
このことは、大学の先生自身が悩みながらも自ら達成すべきですし、そうでなければ意味のないことだと、私は思います。
技術士には技術士の、大学の先生には大学の先生の役割があるはず・・と言いたいのです。
技術者倫理もしかり。大学教育に技術士の力を借りるということは賛成ですが、一方で、大学の先生自身が、技術者倫理というものをしっかり把握して学生と接するべきだと。
長くなリましたが、まだ言い足りない感じです。機会がありましたら、また次の機会に。
この8月に総合技術監理部門と鈴木さんと同じ技術部門も受験するつもりです。では。
投稿者 kmatsu : 2006年07月23日 04:38
kmatsuさんこんにちは。
技術士なんて簡単な試験ですから、頑張って合格してください。
主語を変えると言うのは、確かマーケティングについて書いたときだったと思います。
これはあくまで人間について書いているので、私は感情を持たない物質を擬人化して考えるような想像力は持ち合わせておりません。
なかなか興味深いお考えをお持ちですね。
さて、科学と技術、大学と企業の役割については、http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2005/04/post_47.html
や、
http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2005/07/post_62.html
でも書いていますので、よろしかったらご参照ください。
全くではないかも知れませんが、私も同じような意見です。
投稿者 すずき : 2006年07月28日 16:07
鈴木様 こん○○は。
ひょんなことから自分の名前を検索し、こちらのブログにお邪魔してしまいました。書き込んだことも忘れてしまっておりました。
当時は、原子力・放射線部門の技術士でしたが、現在は、機械部門と総合技術監理部門も取得しました。
こちらで書き込んだ考え方は今も基本的に変わっておらず、これに環境問題を加味した内容を、日本技術士会近畿支部の機械システ部会で、今夏講演させていただく予定です。
とり急ぎ・・近況ご連絡で。kmatsu改めIntPE
投稿者 kmatsu改めIntPE : 2009年02月15日 23:38