勿忘広島・勿忘長崎
62回目の原爆忌である。
…また、広島・長崎への原爆投下が日本を降伏に導いたと言う話が誤りだということは、アメリカのリチャード・ローズの『原子爆弾の誕生』や、イギリスのノーベル賞受賞の核物理学者ブラッケットの『原子爆弾の軍事的並びに政治的意義』を読めばわかることだと、東京工大名誉教授の崎川範行氏も語る。
「そのころ(原爆投下以前、すでに)日本はポツダム宣言の受諾を決定し、降伏を申し入れていたのです」
ともあれ、こうした”戦争”というものの醜悪な素顔を、冷静に凝視めるときがきているようです。
(−神坂次郎、特攻隊員の命の声が聞こえる、p.178)
テロとは何だろう?
「非戦闘員に対する無差別攻撃」がテロだとするならば、史上最大のテロは広島・長崎への原爆投下だ。
もっとも、日本は核武装をしない、と言うのは結果論であって、核の加害者になった可能性もあった。
昭和15年、仁科芳雄博士らは陸軍の要請を受けて原子爆弾研究を開始している。
実際にはウランの分離がうまくいかず、さらに米軍の空襲によって施設が破壊されて、研究は中止された。
作らなかったのではなく、作れなかった、だけのことだ。
いずれにせよ、戦争と言うものは、善悪と言う二元論で語れるものではない。
日本の戦後教育は、戦争を避けてきた。
それは勝ったから正義で負けたから悪だと言う単純なものではないはずだ。
原爆投下によって戦争が終わった、などという、アメリカの論理をそのまま引用するような人が、大臣の中にもいることは異常な事態である。
「今、戦争と言うものの醜悪な素顔を冷静にみつめなおす時が来ている。」
私自身、戦争を知らない世代だが、何かできるはずだと思う。
とりあえず、これを世界に叫びつづけることぐらいは。
勿 勿
忘 忘
広 長
島 崎
投稿者 suzuki : 2007年08月06日 13:18
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