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2006年09月06日

私は奇麗事が嫌いです

奇麗事が、現代人の倫理観が希薄になっている原因だ、ということは再三書いてきたとおりです。

福岡で悲惨な事故がありましたが、これ、飲酒運転だからいけないんですか?
追突事故をおこして、3人殺したからじゃないんですか?
シラフなら、やってもいいんでしょうか?

ブログなんかで、「飲酒運転はいけないんだーっ」と声高に言う人、多いですね。
一回もしたことない人たちなんでしょうね?

正直に言います…、

私、学生時代にはよくやってました。
ごめんなさい。
事故らなかったのは、運がよかったからだと思っています。
今はやっていません。
※シラフでも危ないですから、私の運転。
ちなみにゴールド免許です。

奇麗事では事故はなくならないと思います。
そもそも、わが国では重大人身事故を起こしたドライバーのうち、起訴されるのはたった1割なんですから。
有罪になっても、せいぜい5年です(危険運転致死傷罪の最高刑期=タテマエは20年)。
アメリカでは終身刑当たり前、死刑判決まで出たと言うのに。
交通違反には厳しく事故には寛大な日本と、交通違反には寛大でも事故には厳しいアメリカ、どっちがいいんでしょうね?

速度についても、よくいますね。
ちょっと、法定速度を超える走行の話しを書こうもんなら
「公の場でその発言は、違反を助長しているのではないか」
とか言い出す人。

ビタ1キロ、違反しない人なんでしょうね?

もう一回書きますね。
追突して、3人死なせたのがいけないんですよね?
速度出していなければ許されるわけですか?

速度については、私なんかが何かを言うより、この人の言葉をそのまま引用した方がいいですね。

「私はあえて言うが、高速それ自体は別に危険ではない。スピードは、与えられた条件下で、その限度を超えた場合に初めて危険になるのである。もうひとつ、これは私の経験上言えることだが、長距離を走る場合、その道路環境のもとでその車が、安全に維持できると思われる速度よりもずっと遅いスピードで走ると、集中力と緊張が緩み、眠気を誘われることになる。もっと速度を上げると緊張が増し、ドライブの時間も短縮されるので、路上の安全性は確実に高まるのだ。」
−ポール・フレール(いつもクルマがいた、P.263 - P.264)

後段の、低速と眠気の関係は、ずいぶん前に、「単調感型居眠り、Highway Hypnosis(高速道路型催眠)」として、学術的にも認められている事実なのです。

もちろん、道交法違反を奨励しているわけではないので、あしからず。
何事も程度問題で、事故をおこすということはその限度を超えていた、と言うことですから、当然許されることではありません。

言いたかったことは、違反がどうあれ、事故をおこした、と言う事実の方がよほど重いのであって、わが国の、違反には厳しく、事故には寛大な交通行政はどこかおかしい、と言うことです。

投稿者 suzuki : 2006年09月06日 04:21

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飲酒運転での死亡事故が大きく取りざたされた今年だったが、交通事故での死亡者数は70年以降最も低くなる見通しだとのこと。  これは以外なことだったが、飲酒問... [続きを読む]

トラックバック時刻: 2006年12月18日 17:26

コメント

飲酒して運転してはいけない。

が、きれいごと ですか?

事故のリスクは高くなるのに

きれいごと

ですか?

酔っ払いが千鳥足で歩くでしょ?

なのに 車の運転なんか とんでもない

と 思いませんか。

投稿者 いらいざ : 2006年09月18日 20:00


コメントありがとう。
「飲酒運転はいけない」
は奇麗事ではありません。
おっしゃるとおり。

飲酒運転よりもっと悪いのは、「事故を起こすこと」です。

これは、疑いようのない事実ですね?

ところが、わが国の制度では、「飲酒運転」などの交通違反は厳しく取り締まりますが、「原因はどうあれ、(つまり、飲酒運転を含め)、交通事故で人を殺しても、90%のドライバーは不起訴。つまり無罪放免。」
なのです。

これは奇麗事です。

そう思いませんか?
何故、そのような制度になっていると思いますか?

投稿者 すずき : 2006年09月18日 22:40


はじめまして
初めてコメントさせていただきます。よろしくおねがいします。

鈴木氏の考え方も理解はできるのですが、私は飲酒運転に限って言えば、日本型の予防に重点を置くやりかたでいいのではないかと思っています。
自動車への物理的な対応(呼気の検知装置)も含めて社会全体で取り組めばいいのではないでしょうか。
 
運転者数に対しての事故の絶対数はやはり予防型の方が少ないのではないかと想像します。ここが重要だと私は考えます。

かといって他の違反に対しても摘発摘発では、やはり情けないですね。自発的に抑止できるのが望ましいですし経済活動なども萎縮してしまうのではないでしょうか。

投稿者 suny : 2006年10月08日 10:18


>運転者数に対しての事故の絶対数はやはり予防型の方が少ないのではないかと想像します。

ところが、実際はその逆なのです。
http://www2.ttcn.ne.jp/~honkawa/6830.html

米国など、速度にせよ、飲酒にせよ、日本よりずっと緩い規制の国の方が事故率は低いのです。

もっとも、あちらは道路がいいですし、交通の分離が進んでいますから、一概には比較できませんが。

※規制によって事故を防止するなど、所詮その程度の効果です。

日本の規制は、規制の域を超えて、一種タブー化しています。
個人の安全意識が低下している原因はそこらへんにありそうですね。

なにはともあれ、事故を起こさない、と言うのが大原則であることに間違いはないと思います。

飲酒の事故と、先日埼玉で起きた、わき見で幼稚園児の列に突っ込んだ事故は、どう違うのでしょう?
と言うことを考えればわかると思います。

投稿者 すずき : 2006年10月09日 06:15


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