言い訳
いや、言い訳がましい会見でした。
あんな会見に何の意味があるのか?
ロジックでは何も伝わらない、と言うことがよくわかる会見でした。
そう言えば、以前にも同じような感想を持ったことがあります。
社民党の辻本。
言っていることがそっくりでした。「ミス」と言う言い方も。
昨日の村上の会見は、ロジックが破綻している以前の問題でした。
何も伝わってこない。
あらかじめ断っておきますが、私はロジックの大切さはよく知っています。元々、アセンブラでプログラムを書いていたくらい、バリバリのロジック屋です。アメリカ系企業で働いていたときには、パートナーの米人から、「お前は俺が会った中で最強のディベーターだ」といわれたくらいです。
実は、何かを伝えようとするなら、ロジックよりもハートが大事なんですね。
アメリカの大統領候補のTVディベートなんか見ているとよくわかります。
日本では、ディベートと言うと、ロジックばかりが注目されますが、実は、ロジックよりもハートが大事なんです。
では、ハートとは何でしょう?
アントニオ猪木です。
矢沢永吉です。
明日のジョーです。
桜木花道です。
ま、何にせよ、受験学校や東大法学部では絶対に教えてくれないことです。
閑話休題、ロクでもない奴がまた一人消えたことは喜ばしいことです。
金儲けが悪いことだ、と言っているのではないですよ。
(http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2006/05/post_110.html、http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2006/05/post_113.htmlあたりを参照)
金儲けはいいことです。
企業の存在価値は、金儲けです。
村上の間違いは、それを株主と言うごく狭い範囲でしか捉えなかったことです。
会社は株主だけのものではありません。
何のために金を儲けて、使うのか?
企業の存在理由は、最終的には社会貢献の一言につきます。
何度も言うようですが、この、貢献と言う言葉が誤解を招くのです。
貢献=無報酬ではありません。
社会に、新しい価値を提供することです。
その対価として、お金を儲け、事業を発展させ、出資者に還元し、従業員を養い、また社会に貢献する。
これが企業の存在理由です。
会社は株主だけのものではありません。
「金とか技術とかいうものは、あくまでも人間に奉仕する一つの手段なのである。」
本田宗一郎さんの、この言葉の意味は、そう言うことだと私は解釈しています。
2006-06-07追記
どうも、マスコミなどの報道を見ていると、「法を犯したことは悪いことだ」みたいな論調が目立ちます。
これは2つの意味で危険な考えです。
まず、法に従っていれば何をしてもいい、と言う考えにつながります。
村上のやったことは、単にインサイダー取引と言う違法行為だけではなく、企業の株を買占め、あらゆる手段で株価のつりあげ工作を行って、市場を混乱させたことです。
LDとフジテレビをたきつけて株争奪戦を仕組む、あるいは、素人の役員を送り込むと脅して高値で買い取らせようとする。などの行為は、違法ではないかもしれませんが、それ以上に悪質な行為です。
もう一つは、わが国では、法の規制が非常に厳しいと言うことです。
つまり、国民が何か活動をすれば、必ず法を犯している、と言う状態、そして、それを、お上は、いつでも締めることができるようになっている、と言うことです。
つまり、わが国では、法と言うのは、お上のための方便にしかすぎない。
社会を正常化するためのルールなどではないのです。
そんなバカなと思われるかもしれません。
しかし、車を運転する人ならよくお分かりだと思いますが、制限速度ひとつとっても、わが国では、それに従って走ることは、不可能なのです。(交通安全週間など、集中して取締りが行われる日には交通渋滞が起きることからもこれは明らかです。)
アメリカでも、速度違反は厳しく取り締まられますが、制限速度はずっと高いのです。
1998年の冬、2ヶ月ほどコロラド州のロッキーの麓で過ごしました。
郊外の道路では、日本の山岳道路のように曲がりくねった道路でも、制限時速は、55mphつまり90km/h前後です。
そして、重要なことは、その速度で走っている人はほとんどいない、と言うことです。
ほとんどの人は制限速度より低い速度で走っているのです。
実際、制限速度で走り続けることは、元メーカーのテストドライバーで、国際C級の競技ライセンスを持っている私にさえかなりの緊張を強いるのです。
法と倫理は異なる概念です。
善悪を判断する心、正義の心は、法からは生まれないのです。
投稿者 suzuki : 2006年06月06日 08:30
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