やってしまったこと
「やってしまったことに、誠意を持って反省することが大事」
相撲協会、北の湖理事長(ソースは、こちら(スポーツ報知、7月16日))
何度も書いているので、いいかげん嫌になってくるのですが…、
(http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2006/07/post_134.html、http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2006/07/on_ne_peut_pas.html
15日の千代大海と露鵬の一件です。
例によって、似非知識人たちの、批評の数々。「天下の幕内が、大衆の面前でののしり合うだけでも恥ずかしい」、「力士の名に値しない」、「格闘家として絶対にあるまじき行為」、「信じられない愚行」…
数え上げるだけでも嫌になってきます。
それを書いているあなたはどうなんですか?あなたは聖人君主で、絶対に腹は立てないし、「こいつ、ぶん殴ってやろうか」などと、思ったこともない人なのですか?自分は、高尚な人間で、一段高いところから、批判するだけなんですね?
そこへいくと、この、北の湖理事長の言葉は、重みがあります。
暴力はいけない、そんなことはわかりきったことなのです。
では、なぜ、こんなことを書いているか、というと、こういう、きれいごとが、現代人が倫理観を失う原因になっていると思うからです。
そもそも、「倫理」と言うのは、どこに記憶されるか、と言うと、他の知識のように、大脳皮質ではないのです。
倫理的なことがらは、大脳皮質の内側にある、旧脳とも呼ばれる、大脳辺縁系の中にある、扁桃体、と言うところで記憶されます。旧脳、と言うのは、言葉どおり、古くからある脳で、爬虫類にもある、とされています。
何か、たとえば、罵声を浴びせられたとき、最初に反応するのは、この扁桃体です。
しかも、この反応は速いのです。
ムカつくので、ぶん殴ってやろうと思います。
ところが、人間では、大脳皮質が発達しているので、同じ感覚(ムカつき)は、大脳皮質の前頭葉と言うところに送られ、そこで判断されます。
前頭葉は、人間的な判断や分別をつけるとされている部分です。
そして、思いとどまるように指令をだして、扁桃体をなだめすかします。
このとき、うまく怒りを抑えることができれば、その体験は扁桃体に記憶されます。
もし、抑えきれなくて、やってしまったときには、誠意をもって反省することで、その体験が記憶されます。
つまり、「暴力はいけない」などと、教えられて理解した気になっても、なんの役にもたたない、と言うことです。
大相撲と言う、命がけの戦いの舞台で、力士は、気持ちを極限まで昂ぶらせています。その極限状態で、怒りを抑える、などということは、その世界に身をおいたものでなければ、はかり知ることのできないほど難しいことだと思います。
だから、軽々しく、「暴力はいけない」などと片付けて欲しくないのです。
いい本があります。
哲学の饗宴―ソクラテス・プラトン・アリストテレス、荻野弘之・著
著者のことばをそのまま借りれば、
「ものわかりがよいだけの親や教師、口当たりのよい標語を盾に競争も喧嘩も注意も罰則も抑圧した学校教育、ひたすら楽をしようとする社会が、いかなる奇形の精神を飼育培養していくかは、やがて、二十一世紀の日本社会が証明することになるであろう。」
投稿者 suzuki : 2006年07月16日 10:39
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