技術と倫理
クローンペットの続き
http://blog.suzukiyutaka.com/archives/2006/10/post_168.html
この問題(クローン技術)を、倫理観といっしょくたにして議論する傾向があります。
生命はこれまで神の領域でした。
神の領域を侵すことがそのまま倫理に反する行為だとは、私は思わないのです。
例えば、20世紀には、核連鎖反応の結果、自然界に存在しなかったプルトニウムと言う元素が作れるようになりました。これも神の領域を犯す行為だったのです。
私の場合は、ウチの猫の代わりのクローンは要らない、と思いますが、欲しいという人がいればそれでビジネスをすることは悪いことだとは思いません。(この点については、賛否両論あるでしょう。)
確かに染色体が半分しかなく、自然界には存在しない生命体ですが、立派な生命だし、かつての愛猫と同じように愛してあげればいいと思います。
普通にペットとして猫を飼うのと、どう違うのか、と言うことです。
例えば、核連鎖反応は、発電に使うことそのものは、倫理上は問題はないはずです。ところが、兵器に使うことは大きな問題があります。
クローン技術もそうです。
映画マトリクスのように、クローンで人間を増殖し、発電機として使う、などという行為は言うまでもなく、例えば移植用の臓器を作る目的に利用することは問題の多い行為だと思いますし、そのために、ほぼ完全な生体を作るとなれば、倫理上は許されることではないと思います。
では、クローンで食肉用の家畜を作ることはどうなのか?、マンモスのように、絶滅した種をよみがえらせることはどうなのか?
など、今後考えられる応用によっては、様々な問題が付きまといます。
技術と言うのはそう言うものです。
それそのものには善も悪もありません。
それを使う人間の思想が善悪を決めるのです。
言いたかったことは、このビジネスが失敗したからといって、クローン技術そのものについての可能性まで否定して欲しくない、と言うことです。
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投稿者 suzuki : 2006年10月15日 11:15
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